PLANNER STORY お客様の可能性を切り拓く プランナーストーリー①

PLANNER STORY

プランナーストーリー①

PLANNER STORY

2015年入社

倉持 圭Kei Kuramochi

葬祭事業部エンディングプランナー 新卒育成担当

目標が定まらなかった最初の就活。

大学時代は海外を旅するのが好きで、アジアから欧州まで15カ国ほどを巡りました。一旦日本を離れてしまうと夏休みや冬休みを勝手に延長するのもざらで、自由気ままに国境を渡っては、手持ちのお金が底を突くまで、さまざまな地域を放浪していました。

そんな学生生活の中、いよいよ就職活動の時期になりました。何がなんでも就職したいという業種もなかったので、いろいろな業界の研究も兼ねて商社、人材サービス、インフラ、飲食、サービス業……等々、ありとあらゆる業種にエントリーしまくりました。

僕にとっては業界のことを知ったり、その仕事の何が楽しいのかを探っていくことが大事でした。企業面接は、人と接すのが好きな性格も幸いして負け知らずでした。集団面接やグループワークでは、一緒に受けた学生とすぐに打ち解けて親しくなり、終わったその足で呑みに行くことも度々ありました。

こうして大学3年の1月には、準大手のブライダル会社から内定をいただきました。ところが、ここから僕の迷走が始まります。いざ就職が決まってみると、自分の選択は正しかったのか?ブライダル業界は自分に向いているのか?自分はこの会社で何がしたいのか?この数ヵ月間、自分がしてきた就活のすべてが疑問に思えてきて、居ても立ってもいられない。悩んだあげく、僕は大学を休学して、再び海外に旅立ちました。

休学して飛び込んだ海外ボランティア。

旅の目的はボランティア。たくさんの海外ボランティアの中で学生でも門戸を開いていたのが、故マザー・テレサによってインドのコルカタ(旧名カルカッタ)に開設された「死を待つ人の家」でした。

そこでは近くの安宿にスペイン人とルームシェアしながら、主にベッドの掃除や衣類の洗濯、食器洗い、食事の介助などのお手伝いをしました。

ボランティアをしている時間以外は、宿屋の近所の外国人ボランティアが集まる軽食屋に入り浸って、さまざまな国の人たちと雑談するのが日課になりました。言葉も、肌の色も、宗教も違う人たちから、いろいろな話を聞くうち、初めて自分が目指したい“軸”のようなものが見えてその後の価値観に大きな影響を与えてくれました。

人生の目標は、ごく身近なところに。

彼らと話していて、人生において強いなと思うものは二つ。一つは「宗教」。何かを疑いなく信じて進んで行くことで人は強くなれる。日本に居てはあまり感じられない宗教の偉大さとパワーを目の当りにしました。

さらに、それを超えるものが「家族」でした。何かあっても家族だけは自分を信じていてくれる。家族が待っているから何としても頑張りたい。強くて固い絆でつながっている家族って、単純に凄いと、それまでの価値観を丸ごと上書きされた思いでした。

今まで当たり前のようにあった家族の素晴らしさを再認識したことで、自分が本当にやりたいことは、素敵なお父さんとして家族をつくることだと気づかされ、就職のことでもやもやしていた霧が晴れていきました。

やりたいことが見えて、就職を決めた。

自分の目標は、妻子からこんなお父さんで良かったと思ってもらえる、誇りのもてる職種に就くこと。誰から見ても魅力的な人間になること。その上で、ただ稼ぐための仕事ではなく、人間力も磨ける仕事。会社の成長と共に、自分自身も成長できる会社を選びたい。一年前の就活では考えもしなかった具体的な会社選びの基準が、自分の中で形づくられていきました。そんな時、一年前の就活の折には、社長面接までたどり着きながら辞退してしまったアーバンフューネスのことを思い出したのです。

2回目の会社説明会に参加した僕を見るなり、登壇していた加藤副社長が、「あれ!? おまえ倉持じゃないか? こんな所で何してるんだよ?」と言われて、あれから一年も経っているのに、まだ自分を面接したことを覚えていてくれたことに感激しました。

こうしたご縁もあって、大きな会社で組織も仕事も固まっているより、自分の考えで比較的自由に動けて、いろいろ身になる職種であるアーバンフューネスに就職を決めました。

偉大なる父

入社してから研修期間を経て、自分は同期のなかでも早い時期にエンディングプランナーの道に進ませてもらいました。

2年間で200件を超えるお葬式をプランニングさせていただいた中でも最も印象に残っているのが、アーバンフューネス創業の地、また唯一の自社会館でもある西葛西セレモニーホールで行ったお葬式です。

そのお葬式は「偉大なる父」というテーマで行いました。

亡くなられたのは90歳のお父様(Aさん)。喪主は65歳のご長女様が務めました。お父様はバスの運転手を長年勤め上げて、定年退職後に葛西に引っ越して来られたそうです。そこで自治会の役員として地域を盛り上げるために夏祭りを一から創りあげて、地域の人たちから頼りにされ、とても愛されているユーモアあふれる方だったようです。そんなご長女様が希望されたお葬式は、親族30名、身内のみで行う家族葬でした。それを知った自治会の会長さんがご長女様に「自治会の人たちはAさんに凄くお世話になったので、最期にお葬式に参列させて欲しい」とお願いしたところ、「家族葬なのでご辞退いたします」と断られてしまい、とても残念がられていることを、僕は西葛西セレモニーホールの担当者から聞きました。

お別れ会

そこでお葬式の打ち合わせのとき、僕はご長女様に、「お父様は素晴らしい方で、地域のお祭りも一から創りあげて、自治会の人たちからとても愛された人だったので、ぜひ自治会の皆さんもお葬式に参列させていただけませんか?」とお願いしましたが、皆さんへのご挨拶やお葬式のお返しが大変なので、やはり予定どおり身内だけで行いたいというお返事でした。

僕は、「では、自治会の皆さんはお葬式には参列させません。その代り、喪服を着たり、ご家族様が挨拶したり、お香典などは一切なしで、お式の前にお父様に会いたい人たちがお別れをする機会をいただけませんか」とお願いしました。ご長女様は、「90歳を過ぎた父に、そんなに会いに来る人が居るとは思えない」と言いながらも、ご承諾してくださいました。

そして、お父様のお別れ会には、実に大勢の人たちが集まりました。棺のそばで涙を流す人、思い出コーナーの写真を見ながら雑談する人たち。中には会場の様子を眺めていたご長女様を見つけて、お父様が自治会のお祭りを率先したこと、地域にどれだけ貢献したかを熱く語る人もありました。お別れ会は一時間ほどで終了し、その後はごく普通のお通夜と葬儀式が行われました。

人生を変えたお葬式

それから程なくして、アフターサポートの担当者から、ご長女様のお葬式に関する感想が届けられました。

当初、ご長女様がアーバンフューネスを選ばれた理由は、西葛西セレモニーホールが駅から一番近い式場だったから、という単純なものでした。さらに、お父様が病院で亡くなられた時点でご長女様は、お父様が地域にいかに大きく貢献してきたかを、まったく知らなかったそうです。

ご長女様は、「まさか自分の父親がここまで地域の人たちに慕われているとは思いも寄らなかった。大勢の人たちが父親のために集まってくれて、いろいろな話を聞かせてもらえた。本当に良いお見送りをすることができました。一つ間違えば、西葛西セレモニーホール以外でお葬式をしていたかも知れない。そうであったら、きっと本当の父親の姿を、今も知らないまま手を合わせていたでしょう」と感激されていたという報告でした。

当時、まだまだ駆出しのプランナーだった僕は、「わかっていただけて本当に良かった」と心底ほっとしたことを覚えています。

それから半年が経った晩秋、たまたま自治会の会長さんとお会いする機会がありました。すると会長さんが、「今までAさんの長女が地域のお祭りに顔を出すことは一度もなかったけれど、今年の夏祭りに初めてお手伝いに来てくれた」と教えてくれました。

ご長女様のどういう感情によるものかは分かりませんが、少なくとも「偉大なるお父様」のお葬式をとおして、何か変化があって夏祭りのお手伝いに参加した。ちょっと大げさに言うなら“その人の人生を変えたお葬式”になったのかなと、自分は今でも思っています。

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